『第3話“ヒメの犬”』
その日、アタシはシュウに頼まれて、夜の浜辺を散策していた。
空には三日月が輝き、無数の星々が瞬いている。周りに人影はない。
そして、何よりも寒い!潮風が冷たくべたべたまとわりついて、なんだか気持ちが悪い。
「ったく…。いつまでここで待ってりゃあいいのよ!」
アタシは誰もいない海に向かって叫んだ。しかし、海は答えてはくれない。…虚しいなぁ。
何故アタシが今こんなところでひとり、文句をたれながらうろうろと歩き回っているのかといると、さっきも言ったとおり、シュウに頼まれたからなのだ。
ちなみに、何を頼まれたかというと、話は数時間前にさかのぼる。
「は?仲間を迎えにいって来い?アタシが?」
部屋で読書をしていたら、シュウにいきなり、任務を与えられた。
「うん。たぶんキミが適任じゃないかと」
「…別にいいけど。で、どこに誰を迎えに行けばいいの?」
アタシはさっそく手荷物を準備しながらシュウに尋ねた。
「近くの海。今夜十時ね。ん〜、特徴はね、かなり大柄な男」
「ふ〜ん。名前は?」
「…まだ決めてないや。キミが勝手に決めてもいいよ。しょうがないから、本名の龍平で。俺の大学時代の後輩。シュウに頼まれてきたっていってくれればいいよ。はい、これ地図ね」
受け取った地図をみると、そう遠くないようだ。歩いて十五分位ってところかしら。時刻は午後七時ちょっと過ぎ。
「ねえ、シュウ。今日は特に用事ないからいいけど、これからは遅くてもせめて、一日位前に言ってよね。急に言われても困るんだから」
「分かったよ。じゃ、頼んだからね」
そう言ってシュウはアタシの部屋から出て行った。
「んー。それにしても遅いわね〜」
腕時計を見ると、時刻は約束の十時を一時間半も回っている。
シュウが間違えたことを言うなんて(多分)ありえないから、きっと、シュウの言っていた“龍平”ってやつが遅れているのだろう。このアタシを一時間半もこんな寒いところで待たせるなんて、いい度胸。
アタシが浜での散策を再開したら、いきなり背後に気配を感じた。
(っ…!いつの間に……!!)
自分で言うのも何だが、アタシは感覚が鋭いほうだと思う。誰かが背後に来れば当然すぐ気付く。
アタシがその影に気付いたとき、その影はすでにアタシの背後三十センチ以内にいた。
(……っ、速い…!)
アタシが戸惑っていると、その影は真っ直ぐアタシに近づいてきた。
振り向く間もなく、アタシは固まってしまった。
すると。
「カワイ娘ちゃ〜ん☆こんな真夜中に、こんなところで何してるのかな〜?一人?お兄ちゃんと一緒に来ない?」
でかい男がアタシに抱きついてきた。
「っきゃ!?」
アタシはびっくりして悲鳴をあげてしまった。
「っ!何するのよ!」
アタシは瞬間的にその大男の股間を蹴り上げた。
「っ、てえぇぇぇ!」
男はもんどりうって転がりまわった。
そして、余裕の出来たアタシは、改めてその男をじっくりと観察した。いかにも遊び人といった風のちゃらちゃらした格好。体格は熊のよう。…かなり大柄?
「あんた、龍平ね」
「あん?なんで俺の名前を知ってるんだよ?」
「シュウから言われてきたのよ。…ていうか、何で一時間半も遅れてやってくるのよ!」
アタシは龍平に文句をぶちまけた。
「は?あれ?オレ、シュウに十一時半に来いって言われたぜ?」
「へ?」
………。暫しの間。
アタシはすぐさまケータイでシュウに連絡をとる。
プルルルルル…。数回の呼び出し音の後、何故かレンが出た。
「もしもし?」
「もしもし…あれ?なんでレンが?」
「あぁ、あやつならフロじゃぞ。あぁ、ヒメから電話がきたら言伝を頼まれた。“ごめん”じゃと」
「はぁ?どういうこと?」
「さぁな。妾は頼まれただけじゃ。それより、もう夜も遅いからはよう帰って参れ。ついでにポテチを忘れないで買ってきてたもれ。ではな」
「ちょ、レン?レン!」
レンは言いたいことだけさっさと言って電話を切ってしまった。
「もう。何なのよ…」
「な。アイツが間違えたんだって」
「でも、アタシを待たせたことに変わりはないわ。あんたはこれからアタシのイヌよ!」
「はぁ?」
「アタシが決めたことよ。待たせた罰だと思いなさい」
「んなこといったって、あいつのせいじゃんか!」
「おだまりなさい!名前は、そうね…。“ジュン”よ。分かったわね、ジュン?」
アタシは一言も反論は許さないという目をジュンに向けた。
「分かったよ…」
ジュンはシブシブ従った。
「アタシはヒメよ。さ、はやくコンビニ寄ってポテチ買って帰りましょ」
アタシはぐるっともと来た道へ身体を方向転換させた。
「あれ?」
すると、急に視界が揺らいだ。
また、一歩足を踏み出すと、今度は地面が揺れた気がした。
「ヒメ!」
「え?」
ジュンが突然大きな声を出した。と思ったら、アタシの身体が傾いで、視界からジュンが消えて、世界が反転した。
「おい、ヒメ!大丈夫か?」
気が付いたときには、アタシはジュンの大きな腕の中にいた。何処も痛くないから、きっと、地面に倒れる前にジュンが抱きとめてくれたのだろう。本当、馬鹿そうな顔してるのに、身体だけは恵まれたやつ…。
その顔が、今はとても心配そうだ。さっきまで、不真面目そうにちゃらちゃらしてたくせに。とても頼りになりそう…。
「うん…。ありがと……」
「おい?って、うわ!お前熱すげえあんじゃん!」
アタシの額にこれまた大きな手を当てて彼は言った。
「当たり前でしょ…。あたしは誰かさんと違って十分前行動しなきゃ落ち着かないの。それで、あんたが来るまで一時間四十分もここにいたのよ?それで平気でぴんぴんしてる女子のほうが不思議だわ…」
「おい、地図出せ。早く帰るぞ」
アタシは言われたとおり彼に地図を渡した。
「あ、でも、コンビニ寄って…。レンに頼まれたから。コンソメ四袋と、のり塩とうす塩をそれぞれ三袋づつ。はい、これ財布…」
そこでアタシの意識は途切れた。遠くでジュンが何度もアタシの名を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、今のアタシに、それに答える気力はもうなかった。
気が付くと、アタシはアタシの部屋のベッドの上にいた。
昨日は何時に帰ってきたのだろうか。ふと見ると、ジュンが毛布もかぶらないで、ベッドに寄りかかって寝ていた。
「ジュン?」
アタシが小さく呼びかけると、彼は目を覚ました。
「お?ヒメ、起きたか。調子はどうだ?」
「んー…。まだ熱っぽくてだるい」
アタシは毛布を肩までひきあげた。ジュンはアタシの額に手をあてて、熱を測る。
「みたいだな。目が潤んでるし、顔も赤い。熱もあるみたいだな。それに、昨日のヒメに比べりゃ、言葉に覇気もない」
「アタシ、風邪は結構長引くほうなのよ。ジュン、昨日は迷惑かけたわね」
「いいって。オレはヒメの“イヌ”なんだからな」
「そうだったわね。じゃ、イヌには褒美をやらなきゃね。アタシに出来ることならなんでもいいわよ」
「んー。何でもいいんだな?じゃ、これで」
そう言って、ジュンはベッドに手をかけた。そしていきなりアタシを抱き寄せたかと思うと、額にキスをした。
いきなりのことで、彼が何をしたのか分かるまで、数秒を要した。
「じゃ、おやすみ、ヒメ様☆」
「っ!馬鹿ー!!」
アタシの叫び空しく、彼はさっさと部屋を出て行った。
前言撤回。
これから、びしばししごいてやろうと思ったアタシだった。
戻る