ある日、森の中で 作:月兎様
「どこだよココ!?」
あたり一面の森を見渡し、男は叫び声を上げた。手にしているコンパスの針はぐるぐると不規則に回り続けている。歩き疲れた男はぽつんと置かれていた岩の上に腰かけた。
「ちくしょー!ラズウェルの奴、今度はどこに跳ばしたんだよ」
覆い茂る草をナイフで切りながら男は森の中を進んでいった。進みながらも周りの植物を見ながら現在地を特定できそうなものを探した。しかし、なかなかそういったものは見つからず男は元凶であるラズウェルへの恨み事をぼそぼそと呟きだした。
「ほんとにここはどこだ?この春っぽい気候からしてトーチア地方ではあるはずなんだが……ラズウェルめ、5日後、戻ったら覚えてろよ」
しばらく歩いていても一向に森の出口は見つからなかった。イラつきながらも目の前の背の高い草を切り伏せると、開けた場所へと出た。そこでは綺麗な水が泉からこんこんと湧き上がっていた。今までは上方を覆う木々によって遮られていた光が泉に差し込み、それを受けて泉がキラキラと輝いていた。その神秘的な光景に男は思わず息をのんだ。
警戒しながらも泉に近寄ると明るさに一瞬目を細めた。予想していたのをはるかに凌ぐあまりに清廉なその空気に男は再び息をのんだ。
「あれは?」
泉のそばに何かが見えた。目を凝らしてみてみると、それは石造りの小さな祠のようだった。近づいてみるとその祠はとても綺麗で、誰かの手によって手入れされていていることが見て取れた。
「誰か……このあたりにいるのか?」
考えていると、首筋に何か冷たいものがふれた。振り向こうとすると、高く澄んだ声で制止の言葉がかけられた。
「動くな。貴様、何者だ?シルフィード様の祠に何の用だ」
「まて、俺はただの遭難者だ。転送術の失敗でアステアから飛ばされた。俺には悪意も害意も敵意はない」
相手を刺激しないように、敵意がないことを示すためゆっくりと両手を上げた。
「アステア……魔法都市か。……もしかしてお前、宮廷魔術師か!?」
「あ、あぁ。そうだが」
「本当か!なんという幸運だ!すまないが手を貸してくれないだろうか?」
男が慎重に頷くと、いきなり首筋に触れていたものが離れた。そして声の主は男に向かって頭を下げた。声の主はまだ15歳ほどの少女だった。しかし。ぴくぴくと揺れる耳が普通のヒトではないことを示していた。よく見るとふさふさとした尻尾もついていた。
「手を貸すとは?」
「この先に私たちの隠れ里があるんだ。下手な獣や魔物が近付かないように結界で守ってるんだけど、3日後の双子月の日、その決壊の効力が切れるからはりかえなければならないんだ。でも、村で唯一の結果医師がつい先日から急な病で倒れたんだ。里の医者は原因を特定することができなかった」
そこまでいって少女はつらそうに唇をかみしめた。そして顔をあげて男にすがりつくようにして頼み込んだ。
「あんた、結界を張れない!?里を守る結界を張ってほしいんだ!」
「すまない。俺は結果術の心得はない」
「そう、か」
男が言うと少女は悲しそうに顔を伏せた。そんな少女を見て男はだが、とつづけた。
「治療術の心得はある。しかもアステアで屈指の治療術師だぞ、俺は。案内しろ。お前の仲間、治してやれるかもしれない」
「先生!どうだったんだ!?マキナさんの具合は!?」
「容体は落ち着いた。3日後に間に合うかどうかは本人の頑張り次第だ。……何か手助けがしたいんだったらヴィの実を取ってこい。回復の助けになるはずだ」
何か手伝えることはないか、というような表情をしている少女に男は指示を出した。男の言葉を聞くなり少女は地面へと飛びおり、再び森のほうへと走り出した。
「マキナへと治療を施していただき、誠に有難う御座います」
少女が駆けていくのを見送って、隣に立っていた初老の男性が男に声をかけてきた。
「別に。すべては彼女の助かりたいという意志にかかっている。助かるのは彼女自身の力でだ」
「それでも、私は族長として、そしてマキナの親としてあなたに感謝します。お迎えが現れるまで、どうか好きにお寛ぎ下さい」
「感謝する」
男は一言礼をを告げて案内された部屋へと入った。そしてベッドに身を投げ出した。治療に魔力を大量に使い、軽く疲労感と睡魔が襲ってきた。そしてそのまま睡魔に身を任せて眠りについた。
「もう、行っちゃうのか?」
「あぁ。迎えが来たからな」
結界師の回復は何とか間に合い、結界の張り替えの儀式は滞りなく行われた。里の者たちは男に感謝を述べ、短い滞在を何不自由なく過ごせるように計らった。それどころか毎日のように誰かが果物を持ってきたりと至れり尽くせりの日々だった。
そして里を訪れた日から5日後、ラズウェルが迎えにきて男はアステアに帰れることになった。転送用の陣を敷くために、となるべく開けた場所―男と少女が出会った祠のある泉―へとやってきた。
「はいはーい。陣が敷けましたっと。じゃあねお嬢さん。5日間こいつをありがとう」
「世話になった」
「あ、まって!」
少女は陣に入ろうとする男を呼びとめた。そして男にかがむように言った。首をかしげながらも言われたとおりに軽くかがむと、少女は少し背伸びしてその頬へ口づけた。
「ありがとう、さよなら!」
いきなりの出来事に驚いて呆けている男をにやにやと笑いながら陣に押し込んで術を発動させた。そして少女に手を振りながら、光とともに二人の姿は消えた。